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東京地方裁判所 昭和33年(行)45号 判決 1961年10月26日

判  決

東京都千代田区霞ケ関一丁目一番地

原告

右代表者法務大臣

植木庚子郎

右指定代理人

家弓吉已

鈴木智旦

宮崎日出雄

武田誠吾

渡会治吉

東京都港区芝公園六号地の一番地

被告

中央労働委員会

右代表者会長

藤林敬三

右指定代理人

吾妻光俊

大和哲夫

川端良平

佐藤香

横浜市磯子区中根岸町三丁目二四八番地

被告補助参加人

全駐留軍労働組合

神奈川地区補給部支部

右代表者執行委員長

鳥山高

東京都新宿区戸塚一丁目六〇七番地

藤本秀夫

右補助参加人両名訴訟代理人弁護士

松本善明

右訴訟復代理人補助参加人藤本秀夫訴訟代理人弁護士

安田郁子

右当事者間の昭和三三年(行)第四五号不当労働行為救済命令取消請求事件について当裁判所は次のとおり判決する。

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者双方の求める裁判

一、原告は「被告が昭和三二年(不再)第七号事件について昭和三三年三月一二日付でした命令を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、

二、被告は主文同旨の判決を求めた。

第二  請求の原因

一、藤本秀夫(被告の補助参加人)は、もと原告に雇用されていたいわゆる駐留軍労務者であつて、昭和二二年二月から米国極東陸軍の東京補給部の冷凍工場に、昭和二八年一月から同補給部のレーバープール所属の陸沖仕として勤務していたものである。

原告、昭和三〇年二月四日藤本秀夫に以後出勤を停止すべき旨通告し、さらに同月一九日に同人に対し解雇の意思表示をしたところ、同人ならびに全駐留軍労働組合(以下全駐労という。)東京地区本部およびその東京補給支部(のちに全駐労神奈川地区補給部支部と改称された、被告の補助参加人にあたる。以下補給部支部組合という。)より、労働組合法第七条第一号に違反する不当労働行為であるとして、昭和三一年二月一八日原告の当該行政機関たる東京都知事を被申立人として東京都地方労働委員会に救済の申立がなされたが、昭和三二年一月二四日付の命令でその申立を棄却されたので、さらに同年二月一一日被告に再審査の申立(昭和三二年(不再)第七号事件)がなされた。

被告は、右再審査の申立につき昭和三三年三月一二日付で、「一、初審命令を取消す。二、再審査被申立人は、再審査申立人藤本秀夫に対する昭和〇年二月三四日付出勤停止及び同月一九日付解雇を取消し、同人を原職に復帰させ、かつ出勤停止の日から原職復帰に至る間に同人が受けるはずであつた諸給与相当額を同人に支払わなければならない。」との命令(以下本件命令という。)を発し、同命令書の写が昭和三三年三月一五日東京都知事に交付された。

二、本件命令の理由は、別紙命令書の当該欄に記載されているとおりであるが、被告が原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇を不当労働行為にあたるものと認定したのは事実を誤認するものであつて、この点において本件命令には違法が存するので、その取消を求めるため本訴を提起したものである。

第三  請求の原因に対する答弁および本件命令に瑕疵がないことについての被告の主張

一、請求の原因一記載の事実は認める。

二、被告が別紙命令書の理由中第一において認定した事実は実在したものであり、かかる事実を基礎にして被告が別紙命令書の理由中第二において示した判断に不当の点は発見されないのであるから、本件命令には違法はない。

第四  本件命令には瑕疵がないという被告の主張に対する原告の反論

一、被告が別紙命令書の理由中第一において認定した事実について、原告は、左のとおり認否する。

1、「再審査申立人等」と題する部分については全部その事実を認める。

2、「藤本秀夫の組合活動」と題する部分について。

(1) 冒頭に記載されている藤本秀夫の労働組合の役員としての経歴のうち、同人が昭和二九年四月補給部支部組合の第一回定期大会で、同支部の副執行委員長に選任され、それ以来原告から保安解雇の意思表示を受けた当時においてもその地位にあつたことは認めるが、その余は知らない。

(2) (一)記載の事実中藤本秀夫が昭和二八年八月一二日および一三日に行なわれた全国統一ストライキの際青年行動隊長を、昭和二九年九月の特別退職手当闘争全国統一ストライキに際して補給部支部組合の副闘争委員長をしていたことは認めるが、その余は知らない。

(3) (二)記載の事実中東京補給部において人員整理が行なわれた一方PD労務者の増加する事実があつたことは知らない。その余は後段(二2(一)(1))において述べるところに牴触しない限度において認める。

(4) (三)記載の事実は認める。但し、基地労務士官の対労働組合交渉権限が上部機関に移された原因については、後段(二2(一)(2))において述べるとおりである。

(5) (四)記載の事実中昭和二九年一一月に一六〇名余の労務者が新規採用されたこと、昭和三〇年二月東京補給部ストレージ地区等に関する大量人員整理の発表があつたことおよびその人員整理において高率の実質解雇者を出したことは認める。但し、右のように実解雇者数が高率であつた原因は、後段(二2(一)(3))において述べるとおりである。

3  「藤本秀夫が解雇された経緯」と題する部分については全部その事実を認める。

二、原告が本件命令に違法があると主張する具体的な根拠は、次のとおりである。

1  原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇は、日本国政府とアメリカ合衆国政府との間に締結された「日本人及びその他の日本国在住者の役務に対する基本契約」(以下労務基本契約という。)およびその附属協定第六九号(以下附属協定という。)に基き、藤本秀夫にいわゆる保安基準に該当する事実が存すること、すなわち藤本秀夫が附属協定第一条a項(2)に定める、米国の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的にかつ反覆的に採用もしくは支持する破壊的団体または会の構成員であるということを理由としてなされたものであつて、本件命令で認定されているように、藤本秀夫の組合活動を理由としたものでは断じてない。ただ前示保安基準に該当する具体的事実については、駐留軍(以下軍という。)の高度の機密保持の必要上軍から日本政府に対して通告されるところがなかつたため、原告においてこれを明示することができないのである。しかし藤本秀夫に関して上記保安基準に該当する具体的事実の存在することについては、次に述べるような諸般の事情からして疑いをはさむ余地がない。すなわち、(イ)駐留軍労務者に対するいわゆる保安解雇は、附属協定締結前においては、もつぱら労務基本契約第七条の規定のみに従つてなされていたのであつて、米国を代表する契約担当官において当該労務者を使用することが米国の利益に反すると認めさえすれば、直ちにこれを解雇することができることになつていたところから、保安解雇に名をかりて不当な解雇が行なわれたという紛争を生ずるおそれがないでもなかつた上に、駐留軍労務者の組織する労働組合の要望もあつて、いわゆる保安基準を具体的に明示するとともに、保安解雇の手続を慎重にし、いやしくも不当な解雇が行なわれる余地をなくしようという配慮のもとに締結されたのが附属協定である。その規定の概要を説明すると、保安基準としては三個の事由が掲げられ(第一条a項)、軍から日本政府に対し、軍において駐留軍労務者に保安基準該当の事実があるものと認めた旨の通知がなされた場合には、日本政府は、最終的な人事措置の決定があるまで当該労務者の施設および区域への出入りの差止め、すなわち出動停止の措置をとらなければならない(同条b項)のであるが、軍は当該労務者が保安基準に該当するかどうかの決定をするにあたり、保安の許す限りあらかじめその該当事由を日本政府に通告し、日本政府は、軍が右決定をするに資する情報を提供するほか自らの意見および見解を述べることができる(同条c項)のであつて、軍において、当該労務者が前示保安基準に照して軍の保安に危険でありまたはその脅威となるものと決定した場合には、日本政府は、軍の要請に応じて当該労務者に対し必要な人事措置をとるものとされており(同条d項)、なお叙上に関する実施細目手続が第二条以下において定められている。駐留軍労務者に対する保安解雇については、右に述べたような附属協定に規定されるきわめて慎重な手続が履践されることになつており、藤本秀夫に対する出勤停止および保安解雇は、もとより右のような手続を経てなされたものであるが、そのほかに藤本秀夫に関して保安解雇の最終決定の衝にあたつた米国極東陸軍第八軍司令官は、一般の事例にならつて、その諮問機関であり、将校と軍属との四人の委員(そのうちの一人に法務局の将校があてられる。)をもつて構成される保安解雇審査委員会の答申をきいたのである。この委員会 は、付議された労務者が保安上危険な人物であるか否かについて多数決で議決したところを答申するのであるが、事案の審査にあたつては、保安基準に密接にまた直接に関係のある情報のみを考慮し、事件本人の労働組合活動とかその他米国の保安に関係しない他の事項について何らの考慮も払わないのであるのみならず藤本秀夫に対する保安解雇については、同人から附属協定第条の規定に則つて軍に対する訴願がなされたけれども却下されたのである。(ロ) 労務基本契約第七条の規定するところによれば、保安解雇に関する軍の決定は最終的なものとされている。日本政府としては、軍の公正な判断と決定に信頼してこれに一任している関係にあるのであつて、国際信義の点からいつても、軍は充分な根拠と慎重な判断のもとに保安解雇に関する決定をするものとみるべきが当然であり、殊にいわゆる日米行政協定の第一二条第五項および第一五条第四項において、軍が日本の労働法規を遵守することを約している点からいつても、軍がわが労働組合法の禁止を無視して不当労働行為をあえて行なうというようなことはありえないとすべきである。以上これを要するに、藤本秀夫に対する出勤停止および解雇は、同人が附属協定所定の保安基準の一つに該当することを理由としてなされたものであるが、ただその具体的事実については、これを確認した軍より原告に対して通告されるところがないので、遺憾ながら原告においてこれを明確にすることができないのである。しかしながらそのために右のような具体的事実の客観的存在に消長の生ずるいわれはありえないのであつて、藤本秀夫の労働組合活動などを全然問題とすることなく、もつぱら上述のような理由のみによつてなされた、原告の藤本秀夫に対する上記各措置を不当労働行為とみる余地はないのである。この理は、かりに藤本秀夫について保安基準に該当する具体的事実がなかつたとしても同様である。けだし、原告が、藤本秀夫に対して出勤停止を命じ、続いて解雇の意思表示をしたのは、ひとえに同人が上述のような保安基準に該当するものであることを理由としたのであつて、同人の労働組合活動のごときは、その際全然考究されることがなかつたからであり、そもそも駐留軍労務者に対する保安解雇はもとより、その前提措置としての出勤停止は、労務基本契約および附属協定の定めるところによれば、当該労務者を引き続き使用することが米国の保安に危険または脅威となるものと認定した軍の要求に応じて原告が必ずしなければならないものなのであつて、軍のこの認定はもつぱらその主観的判断に委ねられ、客観的な事実の裏付けのあることを必ずしも要しないのである。換言すれば、保安基準に該当する事実の存在は、前示措置の有効要件ではないのである。

いずれにせよ、被告が本件命令において、原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇を不当労働行為に該当するものと判断したのは違法である。

2  本件命令において、被告は、原告の藤本秀夫に対する不当労働行為の成立を肯定するについて、同人の労働組合活動を種々認定し、これを直ちに出勤停止および解雇の理由に結びつけ、原告の挙示した理由のごときは単なる口実にすぎないと速断したのである。しかしながらこの点に関する被告の認定および判断には、左に指摘するような誤りがある。

(一)(1) 別紙命令書の理由中第一の二(二)において被告は、昭和二九年に補給部支部組合が結成されてからは、配置転換、人員整理問題が起る度毎に同支部組合の強力な反対闘争が行なわれ、同年中における数回の人員整理はいずれも当初の軍側の計画の半分も実施されなかつたことおよび右のような反対闘争において藤本秀夫が労働組合の情報の配布でM・Pにチェックされたことのあることを認定している。しかしながら右に認定されているように人員整理が軍側の計画どおり実施されなかつたのは、前記支部組合の反対闘争のためというよりもむしろ東京都港渉外労務管理事務所が軍と折衝して配置転換等により実整理人員を減少させるべく努力したがためにほかならないのであり、また前記反対闘争の際情報の配布でM・Pにチェックされた者には、藤本秀夫以外に横山某および竹林某もいたのであるが、このうち保安解雇されたのはひとり藤本秀夫だけである。

(2) 同上第一の二(三)において被告の認定したとおり、基地労務士官の労働組合との交渉権限が昭和二九年一〇月以後上部機関に移されるという事態が生じたことに相違はないけれども、補給部支部組合がストライキを計画したことのために、東京補給部の労務士官バーゲンの右の点に関する権限だけが縮少されたわけではなく、米国極東陸軍関係の各施設の労務士官の労働組合との交渉権限がすべて東京労務連絡事務所に統合されたことが前記のような権限委譲の原因であつたのである。

(3) 同上第一の二(四)において、被告は、昭和三〇年二月東京補給部のストレージ地区等における大量人員整理についての発表があり、その整理において高率の実解雇者を出したことを認定しているが、これは当時人員整理が相次いで行なわれた結果配置転換等により整理該当者を救済する余裕がなくなつたことによるものであつて、決して労働組合の反対闘争が鈍化したためではなかつたのである。さらに被告は、別紙命令書の理由中第二において、藤本秀夫に対する出勤停止が前示のような大量人員整理の発表直前の時期になされたことをもつて、原告の不当労働行為を推認する一の資料としている。けれども右人員整理について軍かららの要求があつたのは昭和三〇年二月一〇日であるが、藤本秀夫に対する保安解雇に関しては、軍において、それより前すでに昭和二九年三月一〇日頃から同年一二月頃までの間にわたつて事実の請査を行ない、続いて昭和三〇年二月一日頃まで藤本秀夫を保安解雇すべきか否かについて審議しており、その間昭和二九年一二月七日原告の行政機関である調達庁長官に対し、ほか数名の労務者とともにその保安解雇についての意見の提出を求めたのである。かような経緯からするときは、藤本秀夫に対する出勤停止がたまたま前述のように人員整理発表の直前に行なわれたということは、直ちに被告のいうように不当労働行為の認定に資するものとはいえないのである。

(4) 被告は、また、原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇が不当労働行為を構成するものと解すべきことの論拠の一として、右各措置の理由たる保安基準該当の事実が具体的に明示されていないことを援用している。しかしながら先にも言及するところがあつたとおり、軍は、その任務および性格からして強度の安全性の保障と高度の機密の保持を必要とするものであるため、附属協定第一条a項に定める保安基準に該当する具体的事実を公表することは右のような軍事上の要請に背反するものというべく、その故に軍がその使用にかかる労務者に対して保安上の危険を理由として出勤停止および解雇の措置をとるべきものと判断して、原告にその要求をするについては、既述のような慎重な手続を経るとはいえ、その判断の根拠を明らかにする必要がなく、原告も軍の判断に拘束されてその要求どおりの措置をとらなければならないとされているのも、右に述べたような事情によるのである。しかも藤本秀夫に保安基準に該当する事実の実在したことは、先に詳述したとおりである。

(二) 叙上のとおりであるから、被告が原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇について不当労働行為の成立が認められるものと判断したのは、その前提にされた藤本秀夫の組合活動の実情に関する認定に誤りまたは不正確な点があるのみならず、その推理にも看過しがたい飛躍があるものと評するのほかはない。

第五  本件命令に瑕疵がないことに関する被告の主張の補足(第四の二に掲げる原告の反論に対する弁駁この点について被告の補助参加人らからも同趣旨の主張がなされた。)

一、第四の二記載の原告の所論について。

藤本秀夫に対する出動停止および解雇の理由が表向き原告の主張するとおりのものであつたことは認める。そして附属協定成立の経緯、附属協定の定める出動停止および保安解雇に関する手続の概要、労務基本契約第七条により保安解雇に関する軍の決定が最終的なものとされ、日本政府としても軍の判断に一任している関係にあること、日米行政協定第一二条第五項および第一五条第四項において軍が日本の労働法規を遵守することを約していることについては、すべて原告の主張するとおりである。しかしながら附属協定が原告の主張するように、駐留軍労務者を不当な出勤停止ないしは保安解雇から保護する目的の下に締結されたものであることと、その運用において実際上所期の効果が挙げられたかということは、自ら別個の問題であるのみならず、藤本秀夫に対する出勤停止および保安解雇について附属協定所定の手続が履践されたこと(そのほかに原告主張のように保安解雇審査委員会の諮問を経たかどうかは知らない。)一般に駐留軍労務者に対する出勤停止および保安解雇に関しては軍が最終決定権を握つていること、軍が日本の労働法規の遵守を約していることからして、原告の結論しているように、軍がその使用する労務者に対して、保安上の理由を口実に不当労働行為をあえて行なうことはありえないということは、一般的抽象的には期待しえても、現実の問題として駐留軍労務者に対する出勤停止および保安解雇について軍の不当労働行為意思の介在する余地が絶無であるとは速断できないものである。したがつて駐留軍労務者に対してその雇用主である原告が軍の要求に応じて、その保安上の危険を排除するために講ずる措置につき不当労働行為の成否を論議する根拠がないという原告の主張はそもそも経験則に反した立論といわざるをえない。

原告は、さらに、附属協定の規定によれば、保安基準に該当する事実の存在することが出動停止および保安解雇の有効要件とされていないとして、藤本秀夫に対する出勤停止および解雇に関して、その理由とされた保安基準に該当する具体的事実が明示され、かつ、立証されなくても、そのことから不当労働行為の成立が推測されるべきものではないと主張する。けれども附属協定は、保安基準に該当する客観的事由の不存在にもかかわらず、単に保安上の理由に藉口して駐留軍労務者に対して出勤停止および解雇の措置をすることまでも許容したものとは考えられず、このような場合について不当労働行為に対する救済ができないとすることは、原告も主張しているとおり軍が日本の労働法規を遵守することを約している以上、とうてい容認しがたいところである。

二、第四の二2において原告の主張する被告の事実誤認について。東京補給部における昭和二九年中の人員整理に対する労働組合の反対闘争の際組合情報の配布にあたつてM・Pにチェックされた者に藤本秀夫のほか横川某および竹林某の両名があり、そのうち保安解雇されたのが藤本秀夫だけであつたことは、原告の主張するとおりである。しかしながら藤本秀夫は、当時補給部支部組合の副闘争委員長として、組合情報の配布に限らず、その他の活動にあつても横山某および竹林某とは異り、責任のある立場にあり、しかも昭和二九年から翌三〇年にかけて一〇〇部以上の組合機関紙その他の配布を基地のゲート前で行なうという活溌な情宣活動に従事するなどして、軍の注目をひいていたのである。

(二) 東京補給部の労務士官バーゲンの権限縮少がその不当な労務管理に対する補給部支部組合の反対闘争を契機としてなされたものであつて、原告主張のように米国極東陸軍関係の各施設の労務士官の労働組合との交渉権限がすべて東京労務連絡事務所に統合されたことによるものでないことは、右統合の時期が前記のようなバーゲンの権限縮少よりはるかに後のことであることに徴しても明らかである。

(三) 軍が藤本秀夫につき保安基準該当の有無に関し調査を開始した時期が原告主張のように昭和二九年三月一〇日頃であるかどうかについては、被告としてはもとより知る由もないのであるが、かりに原告の主張するとおりであるとしても、原告の藤本秀夫に対する出動停止および保安解雇に関して不当労働行為の成立を肯定することの妨げとなるものではない。すなわち、保安上の危険を理由とする駐留軍労務者に対する出勤停止および解雇について、軍による事実調査の開始以来右のような措置がとられるにいたるまでの間に相当の時日を要するのは当然のことであつて、昭和三〇年二月中に藤本秀夫に対して出動停止および保安解雇が行なわれた時より遡つて相当以前から(原告の主張によれば昭和二九年三月一〇日頃から、)軍においてその理由となるべき保安基準該当の事実につき調査が続けられていたとしても、そのこと自体はあえて異とするに足りないのである。問題の焦点は、その間において藤本秀夫がどのような組合活動をしてきたか、軍がこれに対していかなる認識をもつていたかというところに存するものというべきである。ところで、既述のとおり原告の主張するところによれば、軍は藤本秀夫に関して保安基準該当の嫌疑で昭和二九年三月一〇日頃から調査を開始していたというのであるが、あたかもその前月すなわち同年二月には、東京補給部における駐留軍労務者の組織の統一強化のために、全駐労支部と全日本駐留軍労働組合(以下全日駐という、)に所属する東京芝浦労働組合とが合同して補給部支部組合が結成されたのであり、藤本秀夫は、その合同について準備委員となつたほか、合同大会の議長をつとめるなど、その促進に大きな役割を果し、さらにその後保安上の理由により原告から出勤停止および解雇の措置を受けるにいたるときまでの間において、上述のような、すなわち別紙命令書の理由中第一の二(一)ないし(四)に記載したとおりの組合活動を行なつてきたのである。かかる折柄東京補給部ストレージ地区等について大量の人員整理が発表されたのであるが、丁度その頃藤本秀夫に対して出勤停止、ついで解雇の措置がとられたため、右人員整理に対する補給部支部組合の反対闘争が盛り上らず、その前後における人員整理には例のない高率の実解雇者を出したのである。叙上のような諸般の状況を合わせ考えると、藤本秀夫に対する前記各措置は、従来補給部支部組合の反対闘争によつて数次にわたり所期のとおりの人員整理の実施を妨げられてきた軍が前示のような大量の人員整理を前にして、その円滑な遂行を図るべく、反対闘争の中心となることの予見せられた藤本秀夫の活動を封ずるために、原告に要求してこれを行なわせたもので、不当労働行為を構成するものと認めざるをえないのである。

第六  証拠(省略)

理由

一  被告が本件命令を発し、その命令書の写しが昭和三三年三月一五日原告の当該行政機関である東京都知事に交付されるにいたるまでの経過として原告が請求の原因中一において主張する事実は、当事者間に争いがない。

二 原告が藤本秀夫に対してした出勤停止および解雇の理由が、附属協定第一条c項(2)に定めるいわゆる保安基準、すなわち、米国の保安に直接的に有害であると認められる政策を継続的にかつ反覆的に採用しもしくは支持する破壊的団体または会の構成員であるというにあるけれども、この点に関する具体的事実については、軍から日本政府に対してその通告がなされないため、原告においてこれを明示することができないことは、原告の自認するところである。それにもかかわらず、原告は、藤本秀夫に関して前示のような保安基準に該当する具体的事実の存在は疑いの余地のないところであると主張し、その論拠とするところのうち、原告の藤本秀夫に対する出勤停止および保安解雇について適用された附属協定が保安上の危険に藉口する不当な出勤停止ないしは解雇から駐留軍労務者を保護する目的のもとに締結されたものであり、その趣旨に副うべく右のような措置について原告の指摘するとおりの手続が規定されていることは、被告においても争わないところであり、(証拠)によれば、米国極東陸軍第八軍司令官の諮問機関として、原告の主張するような保安解雇審査委員会が設置されており、同委員会は、事案の審査にあたり、事件本人の労働組合活動とかその他米国の保安に関係のない事項については考慮を払わない建前になつており、藤本秀夫に対する保安解雇についても右委員会への諮問が行なわれたことが、さらに(証拠)によると、藤本秀夫は、原告から出勤停止および保安解雇の措置を受けた後に軍に対する訴願の手続をとつたけれども却下されたことがそれぞれ認めうれるのみならず、いわゆる日米行政協定の第一二条第五項および第一五条第四項において軍が日本の労働法規の遵守を約していることも明らかなところである。しかしながら原告の提示するような前提から直ちに、原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇についてその理由たる附属協定所定の事由に該当する具体的事実が必ず実在したものであつて、右各措置に関して不当労働行為の成否を云々する余地がないものと結論するのは、いささか論理を飛躍させたものと評さざるをえないのである。すなわち、原告の所論の根拠とする各事実については、上述のとおりであつて、それ自体としては別に異論をさしはさむべきものではない。けれども、右のような諸々の事実は、駐留軍労務者に対する保安上の危険を理由とする出勤停止および解雇については、必ずその理由に該当すべき具体的事実が具備されて、その間にいやしくも不当労働行為意思のごときものの介在する余地をなからしめるということに関しての絶対的な保障を提供するものといいえないことは、これを理解するにかたくないのである。結局するところ、原告の主張には、駐留軍労務者に対する出勤停止ないしは保安解雇に関して制度の適正な運営が行なわれる限り、そのような措置に関連して不当労働行為などの成立するいわれはないという、当然の道理を宣明した以外に特別の意義を認めることはできないのである。そしてそのことと、具体的事例としての藤本秀夫に対する出勤停止および保安解雇について果して不当労働行為の成立が肯定されるかどうかということとは、自ら別個に検討されるべき問題である。ところが原告は、さらに進んで、附属協定によれば、駐留軍労務者に対していわゆる保安基準に該当することを理由としてなされた出勤停止および解雇は、その理由たる事実の存否にかかわりなく有効であることを前提として、原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇について不当労働行為の成立を否定すべき旨主張する。しかしながら附属協定所定の保安基準に該当する具体的事実の存在しないことによつて、保安解雇およびその前提措置としての出勤停止の効力が左右されるものでないからといつて、原告のいうとおり、当然に不当労働行為の成立が否定されなければならない事理は存しないのである。

してみると被告が本件命令において、原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇が不当労働行為を構成するものであるかどうかについて判断したことは、もとより何ら非難されるべきものではないのである。

三  ところで被告は、本件命令において原告の藤本秀夫に対する出勤停止および解雇を不当労働行為にあたるものと解したのであるが、その点に関する被告の事実認定および判断は誤つていないかどうかについて考察する。

1、藤本秀夫が全駐労東京地区東京補給部支部(のちに全駐労神奈川地区補給部支部と改称)の組合員で、昭和二九年四月に開かれたその第一回の定期大会において同支部の副執行委員長に選出され、それ以後原告から保安解雇の意思表示を受けた当時においてもその地位にあつたことは、当事者間に争いのないところであり、(証拠)によれば、藤本秀夫は、駐留軍労務者として原告に雇用されてから間もなくして、特別調達要員労働組合連盟に所属する東京京芝浦労働組合(のちに全日駐に加盟)に加入し、執行委員に選任されたこともあつたのであるが、その後右労働組合と全駐QM労支部とが合同して全駐労東京地区東京補給部支部(その後改称したものが被告の補助参加入にあたる。なお、以下においては右の改称の前後を問わず、単に補給部支部組合という。)を結成するに際して、準備委員となり、昭和二九年二月に開催された右合同のための大会では議長をつとめたことが認められる。

そこで次に藤本秀夫がその所属の労働組合のためにどのような活動をしたかということおよび軍が同人の労働組合活動についていかなる認識を有し、これに対してどんな態度をとつたかということを、以下において調べてみることにする。

(一)  昭和二八年八月一二日および一三日の両日にわたつて、東京芝浦労働組合と全駐労QM支部とが、駐留軍労務者の役務に関する日米両国政府間のいわゆる労務基本契約の改訂要求を掲げて、全国統一ストライキを行なつた際に、藤本秀夫がその所属する東京芝浦労働組合の青年行動隊長であつたことは、当時者間に争いがないところ、(証拠)によると、藤本秀夫は、右のストライキにおいて東京補給部のゲート前でピケットを張つていた前記労働組合の青年行動隊員の指揮にあたつていたのであるが、たまたま同補給部出入りの業者がバナナを搬入すべく、第六ゲート前のピケットを突破して入門しようとしたことから、ピケ隊員との間に紛争が起り、M・Pや所轄の水上警察署の警察官も現場にかけつけて緊迫した状勢になつたけれども、ピケ隊の責任者であつた藤本秀夫が交渉と説得にあたつた結果、右業者に入門を断念させてその場から引きあげさせたこと、上述の全国統一ストライキは前示二日間にわたる第一波の後に第二波以下が続行される予定であつたところ、第一波決行後における情況にかんがみ第一波だけで打ち切られることになつたけれども、藤本秀夫は、前示要求を貫徹するにはストライキの続行をも辞すべきではない旨の主張を堅持し、その勤務する職場における気運を盛り上げることに努力したことが認められる。

(二)  昭和二九年九月に行なわれた特別退職手当闘争全国統一ストライキに際して、藤本秀夫が補給部支部組合の副闘争委員長をしていたことは、当事者間に争いがないところ、(証拠)によれば、右ストライキは昭和二九年九月一三日および一四日の二日間にわたつて行なわれたものであるが、軍においてその開始の前夜より、労働組合に加入していない労務者等を基地内に泊り込ませようとしていたところから、補給部支部組合では闘争委員会の決定にしたがつて、右泊込みを阻止するため説得隊をくり出してピケットを張らせたこと、上述のとおり副闘争委員長であつた藤本秀夫は、メイン・ゲート前における説得活動の指揮にあたつていたところ、当時東京補給部の労務士官であつたバーゲンより、右のような説得活動は事前の争議行為にあたり許されないとして中止を要求されたけれどもこれを拒否したことから同人を怒らせたことがあつたことを認めることができる。

(三)  昭和二九年中に東京補給部において労務者につき人員整理が逐次企画されたけれども、いずれも当初軍の計画したとおりに実施されなかつたことは、当事者間に争いがないところ、(証拠)によれば、昭和二八年一月中に、従来何ら統一的な基準や方法等について定めのなかつた駐留軍労務者の人員整理に関し、日本政府、軍および関係労働組合の協議に基き、調達庁長官において、人員整理の場合の労務者の選定基準その他の手続についての暫定措置を規定したものとして、「人員整理の手続に関する臨時指令」というものを制定して、これを関係機関である都道府県知事に通達するところがあつたが、その場合では、人員整理にあたつては、解雇者の数をできるだけ少くするために極力、退職希望者を募るほか配置転換を図る方針が指示されていること、上述のごとく昭和二九年中の人員整理が軍の計画どおりに実施されなかつたことについての最大の原因は、前示指令にしたがつて自発的退職者の募集および配置転換が推進された点にあることが認められる。もつとも補給部支部組合が昭和二九年中に人員整理の行なわれようとした都度これに反対して闘争したことは当事者間に争いがないところ、既述のとおり右各人員整理においていわゆる出血が少かつたことについて、この反対闘争がどのような影響を及ぼしたかということ、なかんずく右闘争のために人員整理に関する軍の計画が予定どおり実現されなかつたということを認めるに足りる証拠はない。しかしながら、その点はともかくとして、当時補給部支部組合の副執行委員長であつた藤本秀夫が右のような反対闘争において活動し、殊に情報の配布にあたつていたときにM・Pにチェックされたこともありまた団体交渉の席上において東京補給部の労務士官バーゲンと衝突したことが再三あつたことは、当事者間に争いがなく、(証拠)によると、藤本秀夫とバーゲンとの間の右のような衝突の著しい事例として次のような事件のあつたことが認められる。すなわち、昭和二九年一〇月四日頃人員整理問題について話し合うために開催された労使および軍との三者会談において、藤本秀夫がバーゲン労務士官に向つて、労働組合側の抗議や要求を軍側がきき入れないのは独立国の労働者に対する処遇として不当である旨の発言をしたため、バーゲンの感情を刺戟し、同人よりさような政治的色彩を帯びた発言のなされる限り会談は中止すべきであるとの警告が出されるというようなことがあつた。

(四)  補給部支部組合が労務士官バーゲンの労務管理のあり方を不当であるとして、昭和二九年一〇月中に同支部組合単独のストラキイをまで計画するにいたつたことおよびその後バーゲンはもとよりその他一般に基地労務士官の関係労働組合との交渉権限が上部機関に移されるという事態を生じたことは、当事者間に争いがない。そして証拠によれば、昭和二九年一〇月二七日に開かれたいわゆる三者会談において、補給部支部組合からバーゲンの労務管理について非難が加えられたこと、その際軍側から、今後東京補給部の労務管理に関する労働組合と軍との交渉については、東京地区労務士官ロベキヨ中佐が軍側の責任として、直接その衝にあたることにする旨の言明があり、当時補給部支部組合は、同月二八日午後六時から決行を予定していた三六時間ストライキを一応延期したこと、しかしながら藤本秀夫は、右の三者会談には出席していなかつたことが認められる。なお、上掲(証拠)中には、前述のような交渉権限の上移は、前記三者会談において軍がバーゲンの労務管理の不当を認めてこれを剥奪するためであつた旨の記述が存し、また証人(省略)は、その証言において、その頃東京地区労務連絡士官に上移されたのは東京補給部の労務士官バーゲンの権限だけであつたと述べているけれども、いずれも措信しがたい。(証拠)によれば、前記のごとくバーゲンの権限が上部機関に移されたのは、補給部支部組合の要求があつたことだけに基くものではなく、当時米国極東陸軍が在日基地における労務管理をすべて労務連絡士官に統一的に処理させることにした方策の一環として行なわれたものでもあつたことが認められる。

以上認定したところからすれば、昭和二九年一〇月頃から以降において東京補給部における労務士官バーゲンの労務管理に対する補給部支部組合の反対闘争に関して、藤本秀夫に関して、藤本秀夫に格別取り立てていうに値する程の活動があつたことは明らかにされないけれども、藤本秀夫は、昭和二九年二月にその所属する東京芝浦労働組合と全駐労QM支部とが合同して補給部支部組合を結成するについて活動したほか、右合同の前後において、特に合同後においては補給部支部組合の副執行委員長として、それぞれ所属の労働組合のために相当活溌な活動を続けていたものであるところ、そのような事実と前記(一)ないし(三)において認定したような藤本秀夫の労働組合活動の現場において同人とP・Mまたは労務士官バーゲンとの間に発生した事件とを合わせ考えるときは、藤本秀夫が労働組合の活動家として軍に注目されていたことは察知するにかたくないところである。

2、原告が軍の要求に応じて、藤本秀夫に対し附属協定第一条c項(2)所定の保安基準に該当するとの理由で、昭和三〇年二月四日に出勤停止の通告を、続いて同月一九日に解雇の意思表示をしたことは、当事者間に争いがないところ、原告も認めているとおり、あたかもその頃に藤本秀夫の働いていた東京補給部のストレージ地区その他の職場における労務者に関する大量の人員整理が発表されて、しかもその人員整理においては実質解雇の比率が高かつたのである。そして(証拠)によると、右人員整理に対しては、反対闘争を行なうべきことを補給部支部組合の執行部において決定したのであるが、その前年中の人員整理反対闘争で活躍した藤本秀夫に対して原告より上述のような措置がとられたことから気運が盛り上らず、闘争は低調に終始したことが認められる。ところで右人員整理において高率の実質解雇を出したことの原因に関して、証人藤本秀夫は、補給部支部組合の反対闘争が積極的でなく不活溌であつたことにのみ求められる旨証言しているが、同じ点についての証人舎夷正明の証言(必ずしも全面的に支持しえないことは、後述するとおりであるけれども)に照らしてそのまま措信することはできない。証人舎夷正明の証言は、従前の度々にわたる人員整理にあたり救済の方法としてできうる限りの配置転換が繰り返されてきたために、もはやそのような手段による救済を試みる余裕がほとんど残されていなかつたことが、昭和三〇年二月頃に発表された前示人員整理によるいわゆる出血が大きかつたについてのもつぱらの原因であるという趣旨のものである。しかしながら(証拠)によれば、藤本秀夫に関する不当労働行為救済の申立事件が初審の東京都地方労働委員会において審査されていた際に、本件の原告の行政機関として被申立人となつていた東京都知事がその指定代理人からの提出にかかる「追加答弁書」において、昭和三〇年二月頃発表にかかる前記人員整理で対象人員が合計二六〇名であつたところ実整理(自己退職をした者および配置転換、転勤または新規採用になつた者を除外したもの)数は二一三名に達したが、これに続いてその翌月すなわち昭和三〇年三月中に二回にわたつて発表された同一職場関係における合計二八〇名に及び人員整理においては実整理数が九六名にすぎなかつたことを認めていることに対比すると、証人舎夷正明の前掲証言のいうごとく、昭和三〇年二月頃に発表された人員整理について該当者を実際上解雇から救済する手段を講ずる余地が当時すでになかつたというのに、その翌月に発表された人員整理において実質的に解雇を免れた者の数が実整理者数の約二倍近くを占めたということは、その点につき特段の説明がなされていない以上納得することをえないのである。しかも証人藤井秀夫の証言によると、昭和三〇年三月中に発表された前記人員整理に対して補給部支部組合は、決意を新たにして反対闘争を展開し、ストライキの態勢をさえ整えたことが認められる。叙上のような諸般の情況にかんがみるときには、原告から藤本秀夫に対して出勤停止の通告および解雇の意思表示がなされたのと前後して発表された上記人員整理において実質的な解雇の比率が異常に高かつたのは、証人舎夷昭の証言において断定されているように、補給部支部組合の反対闘争が激しくなかつたことと別に関係がなかつたものとはいいがたく、証人藤本秀夫の証言するごとくその唯一絶対の原因とまではいえなくても、労働組合の反撃の鈍かつたことが右人員整理による出血を多からしめたことに一端の力をかしたものと認めるのが相当である。

3 上来判示したところをかれこれ総合して考えるに、藤本秀夫に対する出勤停止および解雇の理由とされた、軍の保安に対する危険ということは、単なる表面的なもので、その実際における決定的な理由は、かねてその組合活動の故に軍において着目し、殊に従来人員整理の予定どおりの遂行を妨げてきた、補給部支部組合による反対闘争で活躍した藤本秀夫に対し、軍がまたまた大量の人員整理を実施しようとするにあたつて、保安基準に該当することに藉口して出勤停止および解雇の措置をもつて臨むことにより、同人を職場外に排除しようとした点に存したものと認めざるをえず、そのしかる以上は、原告が軍の要求に基いて藤本秀夫に対してした前示各措置はいずれも労働組合法第七条第一号に定める不当労働行為にあたるものというべきである。

ところで(証拠)によれば、原告の主張するように、軍は、藤本秀夫に附属協定所定の保安基準にあたる事実があるかどうかについての調査を昭和二九年三月一〇日頃から同年一二月までの間にわたつて行なつたうえ、引き続き昭和三〇年二月一日頃まで同人にかかる右事案をいかに処理すべきかが認められるし、その間昭和二九年一二月七日に米国極東陸軍司令部から藤本秀夫に関して保安上の危険の有無につき意見を求められた調達庁長官が調査の結果同月二三日、藤本秀夫を附属協定第一条a項所定の保安基準に該当するものと認定することに同意する旨回答したことも、当事者間に争いがないのみならず、証人(省略)の証言によると、右のように調達庁長官が意見を求められて回答したのは藤本秀夫だけではなく、ほか一〇名の者と一緒であつたことが明らかであるが、藤本秀夫に対する出勤停止および解雇について叙上のようないきさつがあつたからといつて、そのために直ちに、右各措置をもつて不当労働行為にあたるものと認めるべきであるとした前述の結論を翻さなければならない当然の事理はないものというべきである。

さらにまた証人(省略)の証言によれば、藤本秀夫に対する前記各措置については、その職場の属する基地の指揮官が全然関与せず、直接情報を入手したその上級司令部の発議に基いて手続が開始し進行せしめられたことが認められるほか、前出二においてすでに判示したとおり、藤本秀夫につき保安解雇の要求を原告に対してするにつき米国極東陸軍第八軍司令官は保安解雇審査委員会に諮問する手続をとつたが、この委員会の審査においては、事件本人の労働組合活動その他米国の保安に無関係な事項については全然考慮が払われない建前になつているのである。けれども右に種々挙げたようなこともそれ自体、藤本秀夫に対する出勤停止および解雇が不当労働行為を構成するものとした前述の認定判断を覆すべき極め手にはならないし、かつ、右のような諸事情からして反対の結論を導き出さなければならないような資料や根拠は何一つとして発見することができないのである。

さすれば前記のような軍の意図の介在のもとに原告から藤本秀夫に対してなされた出勤停止および保安解雇を労働組合法第七条第一号に牴触するものと断定し、これと異る見解に立つて藤本秀夫ほか二名よりなされた救済の申立を棄却した初審命令を取り消した本件命令には何らの違法もないものというべきである。

五  よつて本件命令の取消を求める原告の請求を失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第一九部

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

裁判官 駒 田 駿太郎

裁判官西山俊彦は転補につき署名押印することができない。

裁判長裁判官 桑 原 正 憲

(命令書省略)

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